2007年10月アーカイブ

馬鹿者達の釣り日記2007秋


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この文章はフィクションであり実在の人物とは何ら関係ありません
 

「やれやれ」

土曜日の診療を終えた深町はメールの送信ボタンを押すとため息をついた。

外は台風が連れてきた雨と風である。あすは雨があがる予報ではあるが少し心配である。

夜明け前の2時には八巻が迎えに来る手はずとなっている。

あすから石川県手取川へ鮭釣りへ行くのである。雨は鮭の遡上にとってなくてはならない条件であるが、釣り人の気力も削いでしまう。

深町は2006年からこの釣りに参加していた。この釣りの事の起こりは新潟大学矯正科の釣り馬鹿3人がアラスカでのサーモンフィッシング(矯正科同門会誌馬鹿者達の釣り日記参照)に味をしめて日本で釣れるところをもとめて手取川にたどり着いたのである。回を重ねて今年で5回目である。

深町は昨年のことを思い出していた。友人の伊藤を誘って初参加した昨年は坊主であった。それは特に深町の腕が悪いとか運がないとか言う類のものではなく、昨年はつれなかったそれだけである。総勢8人で朝まずめに星が1本あげただけであった。

その前の2年間は入れ食い状態であった。時合いがよいとキャストごとに当たりがあった。その時に山田も石井も鮭を釣り上げている。キング八巻に到っては人の分まで釣る始末である。

その話を聞き、これは良いと参加を決めた深町でっあったが、川に鮭がいなくてはなすすべがなかった。それが昨年の状況であった。


「暑ち」

まだ夏真っ盛り、ある朝オフィスのPCを開いた深町の目に飛び込んできたのは関からの手取川のお誘いであった。

「今年はリベンジはせねば」と思った深町は早速キング八巻と伊藤に連絡を取った。釣りの予定は例年月曜日が恒例であった。そこで深町は日月と2日釣りをする事を二人に提案したのである。キングも伊藤も基本的には釣り馬鹿である。2つ返事でOKとなった。


「来たな」

独特の排気音が聞こえてきた。八巻のWRXが伊藤をのせ深町邸に到着した。夜中の2時なのに眠くない。昨日の土曜日は朝9時までに30匹以上の鮭が釣れたと関からのメールが知らせていた。その後雨も降り若干ではあるが水量も増えているはずである。釣れる雰囲気満点である。躍る心を御しつつ、WRXに乗車した。


ZZZZZ............」土曜日のの診療を終えた関は日曜の診療に備えてさらには月曜の釣りに期待を込めて睡眠の最中であった。

「ぷるーるる、ぷるーるる」朝の5時に携帯が鳴った。全くこんな朝に誰だ?案の上深町であった。「関ちゃん。手取川の鮭は全部おじさんが釣っておくから。ゆくりおいで」電話は切れた。


「ひゅん」

朝靄に包まれた手取川で深町はキャストをくり返していた。6時に手取川に到着した一行は手続きを済ますと早速釣りを開始した。いつもながら、第一投は気合いが入る。場所は昨年つれないながらも数匹あがっていた、中程の流れ込み下の淵に陣取った。昨年よりややポイントが遠くなっている。深町はキャストをくり返した。

9時くらいに下流の瀬で立て続けに鮭があがった。潮の変わり目らしい。

深町は色めき立った。「ここまでおいで」と

結局午前中は深町の竿に当たりはなかった。

その後、下流の瀬ではぽつぽつとあがっている様であった。

2時に深町の携帯が鳴った。

「もしもし轟き屋魚店ですが、鮭の出前はいかがですか」

「3匹お願いします」というと深町は電話を切った。与五沢であった。

まもなく、与五沢が手取川へ姿を現した。

「釣れた?」

「日頃の行いが悪いから鮭がよってこないンじゃないの?」

いつも痛いところ突く。

与五沢が明日のためにキャスティングの練習を始める。

「明日があるさ」深町はつぶやいた。


結局この日は当たりもなく三人とも坊主であった。


夜は山中温泉「胡蝶」の宴会場で矯正歯科に関連した発表が山田先生,山崎先生によって行われた。深町はみんながまだ熱く矯正臨床について語っている間に床についた。


翌朝、一行総勢9人は下流の瀬に続く淵に入った。昨日実績があったポイントである。

結局朝は釣れなかった。当たりらしきものはあるがといった状況であった。

巡回のおじさんに聞くと上流では数本あがったとのこと。

「今日の場所の選択は間違った」と思いかけていた深町であったが「昨日も9時くらいにあがったし一昨日もそれくらいの時間にあがっているから期待しましょう」という関のひとことでやる気を出した。


さて、その後当たりもない状態が続いている。下流で数匹釣れていた。

そんなとき与五沢の竿がしなった。鮭である。ルアーの先のフックは口にかかっている。「リールはまかないで、竿を立ててためて」周りの指示に従い鮭を寄せてきた。あまり走らない。その時であった。「ぱん」と言う音と共にフックがはずれた。


「悔しー」与五沢は心の中で地団駄を踏んだ。

フッキングが甘かった。後の祭りである。あおりを2、3回入れるべきだったのである。


もっと悔しいのは深町であった。

今年初参加の与五沢に当たりがあったのである。昨年から2日間当たりもない深町は茫然自失であった。


とはいうものの

「魚はいる」と思い直し、キャスティングを続けた。

その時、キング八巻の竿がしなった。「ヒット」経験豊富なキング八巻は物の数分で取り込んだ。ややこぶりではあるが綺麗なメスである。今年の一匹目であった。

次のヒットは関であった。

関も順当に取り込み喜びの笑みを浮かべた。

やはりここ数日のパターンは生きていた9時前後に下流域でぱたぱたと釣れる。

深町にヒットがないのは運がないだけかもしれないしそうでないかもしれない。


その後も周囲では1時間に1匹くらいがヒットしていた。


深町は懸命にキャスティングと続けるも、当たりはなかった。

タイムリミットが近づいたころ、リトリーブする感触に今までにない感触を感じた。

「もしかして」竿をたてあわせを試みると竿先はぶるぶる震えた。「やった魚だ」はやる心を抑えてリールをまくと50センチくらいの流木があがってきた。そしてその流木には深町のスプーンともう一つのスプーンがフッキングしていた。そしてそのラインの先には関が立っていた。関のいたずらであった。


こうして深町のサーモンフィッシングは終了した。

結果は?

聞かないでやってください。


来年こそは・・・・・

介護保険

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昨日は相模原医師会主催の医療・介護連携推進事業研修会「在宅介護における口腔ケアの重要性について」というシンポジュウムを聴きに行ってきました。矯正歯科とは直接関係がないのですが、基調講演をされた日本大学歯学部摂食機能療法学講座教授 植田耕一郎先生とは新潟大学勤務時代にお世話になったので、ご挨拶がてら講演を拝聴しにいってきました。お話の内容は脳血管障害の急性期をすぎ回復期、維持期の患者さんの口腔ケアが置き去りにされている。「体は健康だがお口の中は寝たきり」のご老人方がたくさんいる。お口からおいしいご飯を食べ、そのご飯で血と肉と骨を作る生活に再び戻れるように口腔ケアを始めようという趣旨でした。幸い昨年4月から口腔ケアは介護保険に含まれ給付がされるようになったのでドンドン活用してくださいと言っていました。ただ活用しようにも、歯科医師・歯科衛生士との連携がうまくいっているとはいえず、よりよく連携をするためにはどうしようというシンポジュウムでした。

介護の現場で働く皆様には頭が下がります。話はわき道にそれますが「ヘルプマン」という介護現場を描いた漫画があります。お勧めです。泣きますよ。

植田先生は新潟大学歯学部の加齢歯科学教室で助教授をされていました。そのときに歯学部のお仕事でご一緒させていただいた事が縁で、この後叔母の口腔乾燥症の治療をお願いしました。その節は大変ありがとうございました。

母校の教授になられて、今では介護保険の制度を作る委員会に歯科から唯一参加され、ご活躍されています。この先さらに介護保険が良い制度となることを祈念いたします。こんな事を祈ってどうするんだというつっこみが何処からか聞こえて来そうですが・・・・・

アンダーアチーブ

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ちょっと前のブログであるが、内田樹先生のブログで共感した文章があった。

http://blog.tatsuru.com/2007/10/15_1113.php


人間の社会は人の分まで働ける20%の人と、とんとんの60%の人と、人に養ってもらう20%の比とで構成されると書いてあった。

ふむふむ、どこかで聞いた話だな。と思ったが

続く文章を読んで目から鱗がおちた。

その役割は循環する。子供は養ってもらわなくては、ならないし、年老いてしまっても養ってもらわなくてはいけない。一人の人間でも全ての状態をとおるのである。

そして最後の締めはこうだ。

「社会人になる」ということを単純に「金を稼ぐ」ということだと思っている人間は長期にわたって労働を続けることはできない。
そんな基本的なことを私たちは久しく忘れてきたのである。」

そうなのだ。基本的に社会に出て働くということは世のため人のためであったはずなのである。社会に奉仕すると同義語であったはずなのである。それがいつのまにか自分さえ金が稼げればという風潮になってる。自分だって養ってもらったから大きくなったのである。社会に返さないとね。その分は。

お金が人生の目的であるとやはり自分だけお金が儲かればいいとなってしまう。他の価値観、家族だとか仕事だとかに人生の喜びを見いだすことが普通にできる社会でないといけない。ちっぽけなプライドのために生きるのも、お金のために生きるよりいいかもしれない。

でもみんなわかってないのかも、私はお金のためになんか生きてないと思ってるんだろうなみんな。僕をふくめて。

中州アゲイン

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またしても、福岡にいってきました。今年2回目の福岡です。何かとご縁があるようです。

今回は第71回全国学校歯科保険研究大会に参加してきました。学校歯科医ではないのですが、歯科医師会の学校保健委員会に所属していますのでその関係で参加しました。

参加して良かったです。それは特別講演していただいた。中村修一先生のお話が聞けたからです。

演題は「ネパールにおける学校歯科保険開発」でした.

1989年よりのべ580人の歯科医師・医師・学生・看護婦・歯科衛生士の参加による歯科分野における国際貢献を現在まで継続して行っているという講演でした.当初の6年間は歯科治療のみでしたが1993年よりヘルスケアを導入して、学校歯科保健,母子歯科保健,地域歯科保健の3分野で活動を行ったそうです.学校保健,母子保健は順調に成果を上げたのですが地域歯科保健はうまくいかなかったそうです.その理由「男は働かん」だそうです。

ネパールでの中村先生の活動は以前から知っていました。新潟大学歯科矯正学教室のM利先生からほんの少しお話を伺ったことがありました。

本音かどうかわかりませんが何で始めたかの理由をお話になってるときに

「だまされたとよ」

とおっしゃいました。

基が山男なのでヒマラヤに憧れ、ヒマラヤの国であるネパールに貢献がしたいと計画しているときに、ネパールのひとに

「欧米や日本の人たちは調査してデーターをとっていくばかりで何もネパールに貢献してくれない」

といきなりいわれて、そうか調査より貢献が先かということで歯科治療を開始したのだそうです。

「今になって思えば、誰にでもそういっておねだりしていたんだとわかった」と。

40代前半の若い九州の教授には

「それがわからんかったと」


「だまされた」と。どこまで本気かはわかりません。


その後、ネパール人の口腔保険専門家の養成プロジェクトを立ち上げ,ヘルスポスト(簡易保健所)の職員に対して教育を行ったが全く機能しなかったそうです.その理由はヘルスポストの職員は典型的な公務員であり,仕事が増えることに関して全く非協力であったから.長老の助言により学校の先生を対象に変更したら全く持ってうまくいくようになった.ネパールでは学校の先生は高卒の資格でなれる.郡によっては中卒でもなることができる.先生の多くはその村の出身で村に対して愛があり何よりネパールでは先生が尊敬されている.よって学校を中心とした歯科保健の取り組みは影響力が強くヘルスプロモーションの結果も良かった.結局の所,ネパールでの歯科保健活動は学校歯科保健に帰結しそこからの発展で地域歯科保健活動の一部が行われる状態であるそうです.このお話をした際に中村教授は老子の言葉(多分そういったと思うのですが)

「官となれば人の志を奪う」

役人になると志がなくなるよという意味.を紹介された.

とても印象的でした.

福岡県の職員として長年禄を食ンでいる自分はもう向上心のかけらもないとおっしゃていました。

あと、興味深かった話は日本のODA予算の20%でいいからNGOにわたして民間に国際貢献させよとおっしゃていました。その方が現地の人のためになるし日本人の評判もあがる。なにより志をもったNGOが日本にはある。役人は民間はずるをしてお金を自分たちで使ってしまうと思っているらしいがそんなことはない。決算の義務だけ課せばきちんとする。と

役人のODAのほうが変なお金の使われ方していると思いますね。







何を隠そうこの学会は主催が文部科学省なんですよ。その講演で

「官となれば人の志を奪う」

ですから。中村先生大好きです。


もうお一方

シンポジュウムの座長をなさった

昭和大学歯学部口腔衛生学教室 向井美恵教授

がシンポジュウムに先立ちスライド3枚だけ示されて

学校歯科保健の分野では活動に対する評価がなされていない!と

柔らかい言葉で

優しいお顔で

くり返し

くり返し

くり返しおっしゃっていました。

さて誰に対して言っていたのでしょうか?

走ることについて語るとき僕の語ること

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読みたいものはすぐ読んでしまえるものですね.色んな事に対して時間がないというのはやっぱり言い訳であるということがはっきりした2日間でした.前回のブログに書きましたが,木曜日に思いがけずに村上春樹さんの新刊を手にしました.金曜日に読了しました.好きなことは時間がなくても何とかするものですね.当たり前か.

この本は村上春樹さんが自分の事を書いた本です.なぜ自分が小説を書き始めたのかに始まり,なぜ走り始めたか,これまで走った時のことを書いています.村上さんはたまにエッセイのなかで自分の事を書いているのは読んだことがあるし,「ひとつ村上さんに聞いてみよう」などの読者とのメールのやりとりではご自分のことを書いているのはありましたが,きちんと一冊の本として出版されたのは初めてでしょうか.

色んな人が村上春樹の解説本を書いています.そんな状況が本人に「これは困ったぞ,そうだ僕がひとつ村上さんについて書いてみよう」と思わせたのかもしれません.

率直な感想は「自慢」だなと思いました.やはり毎年一回フルマラソンを走るというのは並大抵ではありません.かなりストイックでないとできない.かなりナルシストでないとできないと思います.その点で「僕って凄いでしょ」と本がいってるような気がしました.

本は面白かったですよ.走ることについて僕も語りたくなりました. 

小学校の頃は走るのは嫌いでしたね.ちょっと小デブさん気味だったし,短距離も長距離も嫌いでした.マラソン大会はなくなればいいのにと思っていました.順位は毎年,真ん中の後ろくらいでしたでしょうか.

中学2年まではそんな感じでした.中学では野球部に所属していました.中2の冬に毎日小一時間校舎の中を走りました.(外は雪が2メートルですもん)野球部顧問の先生の指示でした.廊下を1列になって走る,あるポイントにくると最後尾の人間がダッシュして先頭にでる.階段で3階まであがり,また1階まで下がる.マネージャーが1周のスプリットタイムを計測しペースを一定にする.雪が消えるまで来る日も来る日も走りました.翌年のマラソン大会の順位は一桁でした.育ち盛りというのもありますが努力は実を結ぶということを体で体験しました.それからも好んで走ろうとは思いませんが走ることはそんなに嫌いではなくなりました.高木先生感謝してますよ.

今では体重もかなり重くなり走る事は全くできません.が毎朝の散歩は欠かさずするようにしています.今回の村上さんの本がきっかけで一念発起してフルマラソンに挑戦しようかな?なんてことは絶対にないです.え!なんでかって!それは I井先生がホノルルマラソン目指してトレーニング中だからさ!まねしたっておもわれても癪でしょ.なんてね.

昨日は健診

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昨日はシティプラザ橋本に3才半検診にいってきました.お母さん方がきちんと子育てしているので虫歯がある子は本当に少ないですね.お母さんお父さん方はえらいです.

さて,その帰り道,ふらっとよった橋本駅の啓文堂書店さんで,なんと思いもがけずに村上春樹の新刊を見つけてしまいました.「走ることについて語る時に僕の語ること」でることも知りませんでしたので,大変うれしいです.早速読みたいのですが時間がとれません.今晩,新幹線の中で読みたいと思います.

だからなんだよというブログになってしまいました.

まーそれくらいうれしかったということでお許しください.

Objective

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ob・jec・tive /
 bd
 
 kt
 v/
 
 (more 〜; most 〜)
1 (
 subjective)
a 〈物事が〉客観的な.
b 〈人・意見など〉個人的感情を入れない,公平な.
2 外界の,実在の.
3 (比較なし) 目的の,目標の.
4 (比較なし) 【文法】 目的格の (cf. 
accusative).

研究社さんの辞書の引用です.

人がやることに純然たる客観性は存在しません.何たって脳の中で考えていることですから.

昨日の話の続きです.オブジェクティブグレーディングシステムという矯正治療結果の評価システムがあります.アメリカの矯正専門医の審査に用いられている方法です.治療後の模型を計測し並びやかみ合わせの乱れを点数化し,よく咬んでいるか,客観的に表せるシステムだそうです.さて,たくさんの患者さんを治していく中では咬む力が弱かったり顎が曲がっていたり,どんな名医が治してもよく咬まない患者さんがいます.このような症例は誰が治してもオブジェクティブグレーディングシステムで評価すると低い点数がでます.このシステムではその症例の治療の難しさが反映されていないのです.そもそも症例の難易度を客観的に示す良い方法はありません.現状ではこの判断は経験豊かな複数の人間の主観に頼らざる得ないのかもしれません.アメリカではオブジェクティブグレーディングシステムの評価基準と合格に必要な目安の値が公表されているので,評価される側があらかじめ得点を予想することができます.そうするとどんなことが起きるかというと,誰が治しても治るような簡単な症例を持参するようになるということです.専門医とは難症例にも対応できる技術を持つ人々だと思うのですがその審査にあたっては誰が治しても治る症例のオンパレードになっている事が問題になっています.(アメリカの審査は10のカテゴリーに当てはまる10症例を自ら選び持参する.)

この問題に答えるために我々は100症例のリストから5症例を選ぶという方法をとっています.さらに最初から審査に於いては複数の審査員の主観も利用されることが宣言されています.

昨日もお仕事

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いつの間にか10月である.9月半ばまで暑いなと思っていたら,突然寒くなり「なんだ,なんだ」と思っていたら今日のお昼は季節なりに気持ちの良い風が吹いていた.今は曇っているちょっと蒸し暑いか?台風が来ているらしい.日曜日の運動会が心配である.何となく文章が内田調になっているが気にしない事にする.

昨日は医院はお休みであったが,わたしはアルカディア市ヶ谷で1日お仕事であった.何をしていたかというと審査である.ここからはかなり手前味噌になるので読みたくない人はやめてください.

日本矯正歯科協会JIOという団体がある.歯科矯正医が集まり臨床を実際に担っている歯科矯正医が中心となりきちんと技術を認定する専門医制度を確立するために活動を行っている団体である.昨日はその日本矯正協会JIOの認定審査があった.なんと私は恥ずかしながら審査員なのである.私もきちんと認定を受けて認定医になったので恥ずかしがる必要はないし,大学で長年臨床に携わり後進の育成に勤めてきた事からも審査員であることを誇りこそすれ,恥ずかしがる必要はないのであるが,日本人の一人としてこういう場では,何となく謙遜をしてしまう.(これを謙遜というかは人により意見が分かれるかもしれない)

人の症例を審査することは大変に疲れる.治療前後の資料(写真だったり模型だったりレントゲンだったり)をみて,比較し治療方針は妥当であるか?治療結果は良質か?治療期間は妥当か?を判断する.一人の申請者に対し5症例あるのでその数も半端ではなく.集中して行っても時間いっぱいかかる.一人一人の審査員が全ての症例をみたうえで,面接を行い.最終的な評価を行う.この会の審査システムの優れた点は審査される症例を審査する側が指定する点である.

審査される側が審査される症例を持参する場合,可能な限りよく治った症例を持っていくのは当たり前である.そのような審査でも数を審査すればだいたいその先生の実力はわかる.でも10症例程度であれば長年矯正治療に携わったものであれば運良く治ってしまった症例をそろえることも可能である.そういった事を排除し,きちんとその先生の実力をみるためにこの会では前もって100症例のリストを提出していただいてその中から審査委員が当日持参すべき5症例を指定するのである.


疲れたので文体変えます.


そこのあなた!「5症例用意しておけばどの症例がえらばれてもその5症例を持っていけばいいじゃん」と思ったあなた!そんなことはできないようになっています.患者さんの年齢,不正咬合の種類,治療方法,治療期間,レントゲンの計測値まで100症例分リストになったものを提出しているのでごまかしは効きません.

ですからそこに選ばれた5症例はその先生の実力を実によく表します.

その代わり試験を受ける先生方の仕事量は半端ではありません.100症例のリスト作りだけでも凄い仕事量です.

この会の認定を受けたからといって明日から患者さんが増えるわけではないのに,このような努力をして試験を受ける先生方の努力に感服いたします.

でも自分が試験を受けたときに思いました.自分の治療を振り返りさらなる向上のための意欲が湧いてくると! 結局自分のためになるんですね.


さて歯科矯正の世界には学会の認定医というものがあります.2002年以前には書類審査だけで認定が行われていました.書類をいくら審査してもその人の技術は解りませんね.このシステムで技術が担保されるためにはシステムを取り巻くすべての人達が誠実であることが要求されます.結果としてこのシステムでは矯正臨床の質は担保できませんでした.私も持ってますよ.学会認定医.

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