2008年5月アーカイブ

妥協と矯正

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Domaniと言う雑誌の取材がある。

30代の女性が読者層のヴォリューム・ゾーンの雑誌で、今回のお題は「本物の矯正治療を教えて」というものである。「本物の」ということは本物でない「偽モノ」もあるということか?結構な難しい問題なので即答できないというのはシロートで私は歯科矯正治療でお鳥目をいただいているのであるし、開業する前は未来ある若者に歯科矯正治療を10年以上にわたり教育してきていたのだから答えられないわけがない。もちろん即答する。

我々が行っている矯正治療が本物の矯正治療である。以上。

(増田さん取材の際はお世話になりました。上記表現は某ブログの本歌取り{本歌取りといっていのかしらん}なので表現が横柄で内容もちょこっと違います。笑って許してください。)

私が行っている治療が本物であると言わなければ私に矯正治療を習った若者は怒り出すであろう、貴重な時間を返せと。私が治療した患者さん達は自分の歯並びを観て満足していただいている人は同意してくださるだろうし、不満をお持ちの方は口に出さないまでも文句が心に浮かんだかもしれない。(そのような方はご連絡ください。再治療にて対処いたします。)

我々がと複数で標記したのは、わたしが行っている歯科矯正治療は私が編み出したモノではなく、連綿と続いている歯科矯正臨床の中で培われた前世代(スエヒロ先生、他)からの贈りモノを与五沢文夫という人が私のような馬鹿でも使えるように体系化、具体化したものである。その方法は基本的には日本人(人種としての)に対する歯科矯正治療であり、日本中の至る所にこの考えに従い治療を行う矯正歯科医がいる。

もちろん、与五沢の考え方に従わない歯科矯正医でも本物の矯正治療を行っている人は沢山いる。「本物」と「偽モノ」の境界は妥協のレベルだと思う。

歯科矯正治療は社会心理学的(phychosocial)な医療である.

「人々が矯正治療を希望する理由は自身の歯並びや顔立ちに関連して生じる社会心理学的な問題をできる限り小さくしたいと考えるからである。」(プロフィットの現代歯科矯正学より)

要するに、他の人たちは私の悪い歯並びを醜いと思っているんだろうなと思った人が治そうと思うのである。内田樹先生が言祝ぐところの平和と繁栄の世でなければ成立しない生業であるし、 養老孟先生が言うところの「都市」でしか成り立たない職業である。脳化した社会でしか成り立たない。でも、治す対象は自然そのものの人間であるところが歯科矯正治療が難しいところである。相手は自然だから色んな反応をする。こうすればこうなるはずだというマニュアルは存在しない。同じ事を行っても患者さん個人で反応は違う。それがわかっていない歯科医師は「お宅のお子さんは普通ではないから治らない。」という。かれらは歯科矯正治療も算数と同じように一つの入力に対して一つの出力があると思っている。とりあえず歯学部の学生教育は6年間なので教えられることも限りがあるから定型的な事を教える。歯科矯正学なんかほんのさわりだけである。6年間で全部教えられればよいのだが時間がない。「妥協」である。学ぶ側にとって6年はもしかしたら無限の時間である。本人にやる気があれば何でも吸収できる。でもね。教える側にとっては有限の時間で多数に教えるので情報が取捨選択される、さらには典型的な例それもよく治った症例が教えられることとなる。それを従順に信じてしまった場合、先程の例のように「普通でないから治らない」となるわけである。もう一つの可能性としては、歯科医師がなにも考えずにコンピューターに数字を打ち込んで治療方針を決めている場合が考えられる。コンピューターが出した答えで治らなかった場合に「普通ではない」という発言がでる。所詮コンピューターソフトも人間の脳が作ったものですからすべての「自然」には対応していない。 最も初歩的な「偽モノ」の矯正治療である。治している本人に知識がない。多分、技術も経験もないでしょう。

さらに、矯正治療の特性として全く新しい秩序を作らなくてはいけないという特性がある。通常の歯科治療は虫歯になったところを金属や樹脂で置き換えるとか、抜けた歯の後に変わりのブリッジや義歯を入れるなどの「元の状態に戻す治療」であることが多い。矯正の患者さんは歯並びがわるくても患者さんなりの調和のとれた状態で噛んでる。歯並びをきれいにするということは新しい調和した噛み合わせを患者さんに与える事が最低条件である。そうしないと、歯なんかすぐ新しい調和を求めて動き出してしまう。せっかくきれいに並べたのにね。だから、上の顎だけという矯正治療は通常存在しない。それが為されるときは妥協がそこに存在する。「前歯だけ反対咬合が治れば奥歯の噛み合わせは今のままでいいから」程度のリースナブルな妥協から、「患者さんがいやがるから、説得するのもめんどうだし上だけでやっちゃえ」まで様々な妥協が存在する。知識がない歯科医師もいるだろうが、最高の治療を知ってるはずの歯科医師がそのような事をする場合もある。その場合、その歯科医師の人間性が問題ということになる。端的に技術がないということもある。これは大学教授に多く見られるパターンだ。

現在、一般的に歯を動かすために用いられる装置はエッジワイズ装置というモノで針金とブラケット(ブレース)で歯を動かす。この装置は考案されてから100年経っているがその原理は変わっていない。その装置以外の装置もあるがある種の歯の動きができないなど問題がありその装置だけでエッジワイズ装置と同じ質の仕上がりにすることはできなかったりする。だからそれらはまだ発展途上の装置である。完成はされていない。

我々は個々の患者さんの歯と歯列弓の大きさ、形にあわせて針金を曲げる。そうすることが治療を早く終わらせると思っているからである。しかし世の中には針金を曲げない歯科矯正医の方が多い。既製の(平均的な形のS,L,Mのサイズあり)アーチワイヤーを入れるのである。歯の大きさの形の情報はブラケットに平均値として組み込まれている。省力化のためである。組み込まれる値は平均値でありその患者さんの値ではない。ここにも妥協が存在する。このブラケットシステムを使ってもきちんと治せる人は治せます。最後に患者さん個人個人にあわせてワイヤーを曲げて調節してあげれば我々が用いている装置と結果は一緒になります。ちょっと回り道しますが。でもね、この最後の調節をしないのであればそれは「嘘モノ」の矯正治療だと僕は思います。ブラケットに平均値を組み込んだのは術者の都合です。よく言えば省力化、悪い言葉を使えば手抜きです。省力化のために質が低下するのなら明かな手抜きです。手抜きはやっぱり「嘘モノ」でしょう。あ!でも世の中の多くの矯正歯科医の名誉のために言っておきますが、このブラケットを使っても個人個人で最適のワイヤーを曲げれば同じですから、最悪でも最後に個人にあわせたワイヤーを曲げれば結果は同じですから。理論的には。少し回り道があるかもしれませんが。

最高の噛み合わせの状態を先取りしそのゴールに向かって歯並び、噛み合わせを作り上げて行くのが歯科矯正治療です。全く妥協がない治療はありえません。何たって自然が相手ですから、その妥協を患者さんもまきこんで最小限にしようと努力し続ける歯科矯正医が行う歯科矯正治療が「本物の矯正治療」だと思う。





きれいすぎるね。まとめが。

私の視点

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前回のブログよりほぼ半月が経過してしまいました。ブログを御訪問していただいている皆様におかれましては良いゴールデンウイークをお過ごしになり、お元気でご活躍のこととご推察いたします。(推察する方法はありませんが、便りのないのは良い知らせということでお許しを)私もゴールデンウイークに十分充電する機会を得まして、日々意欲に燃えて診療を行っています。


今日は昨日新聞を読んで思ったことを書きます。昨日5月13日の朝日新聞17面に

岩手県立磐井病院緩和ケア病棟担当医師

佐藤 智

という先生が書いた


がん診療医学部に「緩和ケア」講座を 


というコラムが掲載されていた。

要約すると


がんによる心と体の痛みを和らげる「緩和ケア」は患者が自分らしさや生き甲斐を保ちながら闘病や生活を続けるために欠かせない。しかしながら医学部ではきちんとした教育が為されていないため医師達が「緩和ケア」に対する十分な知識を得ているか疑問である、という問題がある事もう一つは、それを必要とする患者さんが存在するにも関わらず、「緩和ケア科」などの標榜が許されていないため、患者さんの「緩和ケア」へのアクセスが阻害されているという問題があることが記述されていた。


私の母は胃ガンで亡くなった。初回手術から3か月後の再発で再手術もできず、抗ガン剤の治療ののち逝った。モルヒネの作用で最後の半月はほぼまともに話はできなかった。母も死期は察していたと思う。9月2週目、抗ガン剤の治療による延命効果がほぼ期待できないとわかった時、兄妹で母を家で死なしてやりたいので自宅に連れて行きたいと主治医に相談した。無理であった。結果9月28日に母は逝った。

その時は外科の手術を担当してくださった先生が「緩和ケア」を行ってくださっていたように思う。緩和ケアのみならず、手術後のすべてにの治療を外科の担当医が行ってくれた。私の目には手術をしたがための責任感で外科医の先生が最後の看取りまで行ってくださったように感じた。非常に感謝している。また人間としてのあり方としては真っ当であると思った。ただ医療をシステムと考えたときに今のままでは外科医の負担が重すぎると思う。医師個人のボランティアにおんぶにだっこの保険制度はもう長くはもたないと思う。今の制度を延命させるためにも現状を認識し、保険制度を良いほうに変えていく努力が必要である。と僕は思う。

佐藤先生もそのような趣旨で記事を投稿されたのではないか?と僕は想像した。


記事中で佐藤先生は

「緩和ケア科」という標榜は許されないのに「緩和ケア内科」や「緩和ケア外科」などの従来の診療科との組み合わせでの標榜が可能になった事(厚生労働省がそうしたから)に関連して、緩和ケアを扱う医師の資質を担保できないまま標榜を認めるのは「食品偽装」ならぬ「医療偽装」を誘導する懸念はないのであろうか。と憂慮している。

新制度は言葉の組み合わせに過ぎず実態を伴わない可能性がある。と言及している。


日本矯正歯科協会が矯正の専門医制度を立ち上げた理由もそこにある。広告ができる専門医制度を国が運営するのであれば、専門医の質は担保されていると国民は思うであろう。でもね。担保されていないの。概形基準といって1000人以上の団体で、9割以上が医師か歯科医師で、法人格をもっていて、5年以上の活動歴があることが満たされれば良いというルールで、認定している医師、歯科医師の質は問うていない。

これではいけないと思うんですよ。国がやることでも間違っている事はあると思います。ですから、各個人は自分の専門分野で「それは違うのでは?」「こうした方がもっといいのでは?」という声を上げていかなければならないのではないか。

そう思った有志が集まりできたのが日本矯正歯科協会です。国が担保しないのであれば、歯科矯正に携わる者として、自ら質を担保する専門医制度を作ろうと集まった集団です。認定審査のはじめから公正さを念頭に置き、矯正歯科医ではない他分野の歯科医師、大学教授、消費者の代表としての第三者委員を審査に加え書類上だけではないフェアネスを担保してきました。

現在、歯科矯正分野の専門医制度は関係団体がより良い専門医制度を作るために折衝中です。

詳しいことはhttp://www.jio.or.jp/html/offical/kouhou.htmにアクセスしてJIO広報をご覧ください。

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