から引用です.
「小沢一郎の政治生命を断つ」というのは、別にアメリカが指示したことではない(と思う)。
私が国務省の小役人なら、「政治生命が絶たれた方が望ましいが、アメリカが間接的にではあれ介入するリスクに引き合うほどの政治的効果はない」とレポートするであろう。
たしかに、小沢一郎は在日米軍基地の縮減について語ったことがある。
だから、「アメリカ政府は西太平洋における軍略上のフリーハンドを確保するために、小沢一郎を邪魔に思っているのではないか」と「忖度」することは可能である。
現に、多くの人々がそう「忖度」した。
だから、それらの人々は、実際には相互に何の連携もないままに、まるで指揮者に従うオーケストラのように、整然と行動しているのである。
小沢一郎は野田首相にとっては党内反対派の最大勢力である。
自民党の谷垣総裁にとっては彼らを政権の座から叩き落とした不倶戴天の敵である。
検察にとってもマスメディアにとっても年来の天敵である。
彼らは「小沢一郎を排除することをアメリカは望んでいる」というかたちでおのれの欲望をアメリカに投影してみせた。
私はそう思っている。
彼らがあれほど執拗かつ非寛容になれるのは、彼らが「小沢排除」は自己利益のためではなく、アメリカの要請に応え、日本の国益を増大させるソリューションだと思っているからである。
自分のためにやっているんじゃない。
アメリカの、ひいては日本のためにやっているのである。
そう思っている人たちがこれほどたくさんいることに私はむしろ感動するのである。
でも、これほどに立場の違う人々が、同一の実践的結論を共有することを彼らは「変だ」とは思わなかったのだろうか?
ふつう、人間は自分は例外的に賢いと思っている。
いや、謙遜しなくてもよろしい。
誰でもそうなのであるから恥ずかしがることはない。
だから、「例外的に賢いはずの自分と同意見の人がたくさんいる」というときには、前段から後段にいたる論理的架橋が破綻しているということに気づいてよいはずである。
「私ほど賢い人間が、これほど多くの人と同じ意見であるはずがない」というふうに推論してよいはずである。
でもしない。
その理由はひとつしかないが、言うと角が立つので言わぬのである。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
あけましておめでとうございます。初日の出の時間めがけて村富神社に初詣に行ってきました。写真は歩道橋の上からの初日の出です。曇っていてお日様は見えませんでした。
日本人の文化として年が変わると心機一転、気持ちも新たにがんばろうとします。でも、昨年起きたことはまだ全くその後始末が済んでいません。2011年2012年については2年でセットなのではないかと思っております。昨年起きたことを忘れないように、今年がよい年になりますように、さらに未来がよい未来になるように日々精進していきたいと思います。
大晦日の午後に子どもと怪物くん3Dを観にいきました。ピラリ姫の国の民は悪人ヴィシャールの洗脳によりダイヤモンドに目がくらみ、自分の欲望を満たすことしか考えず、人々と協力し助け合うことをやめてしまった。人々の洗脳を解くために、ピラリ姫は自らの命を投げ出す。それを怪物くんが救う。やー黄金のストーリーですね。でも、これは映画の中だけの物語ではないですよね。今の日本そのものです。上川隆也さん演じるヴィシャールは広告会社、ダイヤモンドはお金。長年の間、消費はよいこととすり込まれて、自らの欲望を最大化してきたのは私たちです。この辺で足を知るということが必要だと思います。もう一つ、気づきがありました。怪物ランドのプリンスですら、自国の国民を守ろうとするのに、3月11日以降日本国政府は自国民を守ろうとしませんでした。今でもそうです。映画は大変楽しめました。込められたメッセージも心に染みました。でもね、映画にメッセージを込めるなんて回りくどいことしないで本業の報道できちんと国民を守ってください。お願いします。日本テレビさん。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
4月17日から19日まで、パシフィコ横浜とヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルで第33回与五沢矯正研究会が開催されました。なんと今回の大会長はこの私、この大会の準備のプレッシャーでブログの更新もままならない状態でした。今は終わってほっとしています。今年は1月から色んなことがありました。チェニジアでおこった革命がエジプトに飛び火しムバラク大統領が失脚したり、ニュージーランドで地震があり邦人が犠牲になったり、さらにはリビアでも政変が起こったりと、2011年は飛ばしているナーと感じていました。その頃はこんなことになるとは思いもしませんでしたので。今年が終わる頃には「ドルが崩壊しているかも」などと軽口を叩いていました。大相撲の八百長が世間を騒がしていたころはしあわせでしたね。ある意味3月11日の震災、その後の原発事故で日本の一部が崩壊しました。
研究会で与五沢先生は「今年の研究会は忘れ得ないものになった」とおっしゃいました。それは外部的な要因である震災の影響からの発言でした。地震の被害、計画停電、原発事故がある中で開催を決定し無事終了する事ができました。発表者を筆頭に参加していただいた先生方のご協力なしには為し得なかったと思います。ありがとうございました。
研究会の内容は大変面白かったと思います。手前味噌ですが。初日は混合歯列期の矯正治療についてのコンセンサスが確認されました。無駄な治療は行わないということです。お金に目がくらむ人は医療に手を出さないでいただきたい。二日目は矯正治療後の安定性について濃いディスカッションができました。発表者の方々の能力の高さにはいつもながら大変驚かされました。与五沢先生にも御発表いただきありがたいことでした。機会が有ればこれからもドンドン情報発信お願いします。
昨年は門司港の有松先生、今年は横浜港で私が、来年は新潟港で池元太郎先生会長の下、第34回大会が開催されます。楽しみです。
第35回大会はブノア港から魚類調査にでかけましょうね。山下先生。あ!先生は波の調査ね!
昨日午後から橋本の市民プラザで3歳半検診でした。ちょっと早く着いたので本屋さんへ、新聞広告で気になった週刊新潮をチェックしにいきました。その内容は、日本人は八重歯をかわいいと思っているし、最近、モーグルの上村愛子さんやAKBの板野友美さんなどの八重歯のある人がテレビ等に出てくる影響で、偽の八重歯をつける人がいるとのこと、週刊新潮さんは「人と違うチャームポイントを作ってアピールしたいという気持ちの表れでは」と考察していました。私は何を隠そう高校時代、松田聖子さんより、河合奈央子さんのファンでした。八重歯の子とお付き合いしたこともあります。矯正の仕事をする中で腑に落ちたことのひとつに八重歯についての考察があります。きょうはそのお話をしたいと思います。
「日本人は八重歯をかわいいと思っている。」この命題はうそですね。
正しくは、
「八重歯のある子はかわいい」です。
八重歯がある。というのは、歯の大きさと顎の大きさのバランスが悪く歯が大きい状態です。乱ぐい歯、クラウディングと言ったりします。日本人には多い歯ならびです。八重歯のある子は唇を閉じることがきちんと習慣化しています。そのため、前歯が生えている位置は唇と舌のバランスがちょうどよくとれる位置にあります。そのため、きりっとした口元になっている場合がおおいです。バランスのとれた口元は美人さんの条件のひとつですよね。吉永小百合さんも八重歯だったように記憶していますが口元は美しいですよね。(この状態は矯正治療のゴールです。)
唇を閉じると言うことが習慣化されないとどうなるでしょう。おくちの中には舌がありますから後ろから前歯をおします。前方でシャッターの役目をしていた唇はいつもあいていますから、前歯は突出した状態で並びます。すると歯列の前後径が長くなりますから、顎の大きさと歯の大きさのアンバランスがあってもでこぼこの程度は少なくなります。歯列をみると一見綺麗なようですが、口元が突出した獣のような顔になっている場合があります。そんな子は皆さんかわいいとは思いませんよね。
八重歯を矯正治療するときに歯を抜かないで行った場合、多くの人では前歯が前方に突出します。すると、結果的に美しかった口元が崩れてしまいます。非抜歯治療といいますが、このような矯正治療をうけた方の口元は歯を見せて笑っている時はチャーミングなのですが、唇を閉じてまじめなお顔をした際に「なんか文句あるの?」みたいな印象を与えることが多々あります。八重歯を矯正するときは口元の美しさもきちんと考えないといけません。
日本人が八重歯がかわいいと感じるのは、実は八重歯を持っている子がかわいいことが多いからです。詳しくいうとその子の唇が機能的であり美しいからです。
唇を閉じる習慣がなく、上下の前歯が出っ張ったひとが、数万円かけて偽の八重歯を作ったところでチャームポイントにはなりませんよ。それはもしかしたら二重苦かもしれません。
うちの愚息は、3歳の頃「ハロウィン」といえずに「はろりん」と言っていました。そんな彼もお化けカボチャ:ジャック オウ ランタンを作ってくれるまでに成長しました。この1か月皆様をお迎えしました。来週は11月です。彼も今日が最後のお務めです。このカボチャは食べられないんですよね。
「街場のマンガ論」からの引用です。
レヴィナス先生は倫理の根本形態とは「お先にどうぞ」という言葉に集約されると書いている。『そんなの簡単じゃないか」という人がいるかも知れない。エスカレーターの前や、ドアの前で「お先にどうぞ」ということはそれほど難しくない。でも、「タイタニック号、最後のボートの最後のシート」を前にして「お先にどうぞ」というのはそれほど簡単ではない。レヴィナス先生は、あらゆる場面で「お先にどうぞ」と言い切れること、それが倫理的に生きると言う具体的な形である。と論じている。
引用ここまで。
私のまわりで「倫理」をよく口にする人々は「お先に!」と先にいなくなってしまう人が多い気がする。
村上 エルサレムの市長はあのあとで僕に握手をもとめてきて,「あれこそが小説家のスピーチだ」と言ってくれました.卵と壁が合ったら,卵を支持するのはあたりまえだという意見もあります.でも,本当にそうなのかなと思う.卵と壁があったとき,自己責任を背負って,百パーセント卵の側に立てると断言できる日本人がどれだけいるだろうと個人的には思っています.僕だって絶対という自信はありません.
卵を支持するというのは,気分的なものではダメなんです.それなりの決意と,最後まで責任をとる覚悟が必要です.僕は地下鉄サリン事件の実行犯の裁判を聞いていて,そのことを強く感じました.その人たちがやったことはまぎれもない悪であり,許されないことだ.それでもなお僕は彼らの側にたって物をしっかり考えなくてはいけないんだと.そのことで被害者の人に糾弾されたとしても,社会に糾弾されたとしても,その気持ちは変えられない.その気持ちが『1Q84』の中にもずいぶんはいっている.イスラエルのあの刃物が混じったようなぴりぴりした空気の中で考えたことは,また東京地裁の硬い椅子の上で考えたことは,僕がいま小説で考えていることにそのまま地続きでつながっています.もちろん,これでけりがついたわけではなくて,僕はこれからもずっと同じように考え続けていくことになるでしょう.
引用おわり
小説家の社会的使命とか関係なく,自分がそう思ったから実行犯の側にたって物をしっかり考えようと思ったんだと僕は思う.「卵を支持するというのは気分的なものではダメなんですそれなりの決意と最後まで責任をとる覚悟が必要です.」深いですね.でも,卵と壁,ガザでは何が卵で何が壁か分かりやすいかも知れない.でも,身の回りの事って何が卵で何が壁(システム)かわかりにくいものがたくさんある.システムの側がわざとわかりにくくしている場合もある.時にはシステムが卵の殻をかぶっている.だから,立ち止まって,よく考えることが必要なんだと思う.声の大きい人のいうことがいつも正しいわけではない.同じような情報が大量に流れているからといってその情報が信頼がおけるわけではない.とはいえ,世の中には情報が溢れている.鳩山さんが総理大臣を辞めたという判断が国民にとって妥当であったかどうかについて私は判断がつかない.それは私が政治家ではないから,政治家としての経験は皆無である.情報はたくさんあるが,判断する術を知らない.しかし,歯科や歯科矯正のことだったら判断はつく,私がすべき仕事は自らの職域において卵を支持する事だと思う.学会は専門医制度は作ったが,認定医制度はそのまま存続させるという方針である.認定医はとったが専門医も目指さず,矯正臨床を市井で行う歯科医が二千人おり,これからも増え続ける.この国の歯科矯正臨床は誰が担うのか?そのビジョンを示さずに認定医やら専門医やらを作ってもしょうがない.アメリカでは専門医の1次,2次試験には期限があり期限内に次の試験に受からないともう一度最初から試験を受け直さなくてはいけない.そのようなシステムにしているのは専門医の数をコントロールしたいからである.専門医が無制限に輩出されれば供給過剰により専門医が生活していけなくなる.そうすると治療の質が落ちる.患者さんは安心して治療を受けることができなくなる.アメリカでは矯正治療とはこのような物ですというコンセンサスが患者さんと歯科医師の間でもある程度存在する.それは歯科矯正専門医や歯科医師がそのような啓蒙活動を行って来たから.日本では歯科医師と患者のコンセンサスはもとより,歯科医師同士のコンセンサスもとれていないと思う.このような状況が放置されてきた事から,この状況から利益を得る者達がいると考える事には蓋然性がある.さて日本の専門医認定システムとアメリカのシステムを比較し最も異なることは,なにか?認定医の存在です.アメリカでは中途半端な認定は行われません.くり返しますが,期限内に専門医を取得しないとまた最初からです.日本では,1もしくは2症例の呈示で認定される認定医はその後,専門医を取得しなくともそのままです.認定医でも治療するには十分な経験と技術があるんだ,というのであれば専門医なんて制度をその上に作る必要はない.専門医こそが日本の矯正を担うべき知識と技術と経験を持った歯科医師とするならば,専門医が歯科矯正の治療を担うべきであり,それ以下の技術と経験しか持たない認定医は矯正臨床の担い手としては排除されるべき人々だと思います.私はそう思います.現状を放置することで不利益を被るのは患者さんです.利益を得るのは,患者さんの無知につけこみいい加減な治療で料金を取る歯科医師,そのような人たちに教育をしてお金を得ている人たちです.混乱を無くし歯科矯正治療のコンセンサスを患者さんに十分アナウンスして,安心して歯科矯正治療を受けられるようにしたい.そんな明るい歯科矯正を次世代に伝えていきたい.いきたいです.いけたらいいなー.いけるかなー.卵と壁はどーなった?
村上 さらにいまは,大きい声で言う人が勝つという感じが強まっているような気がします.言うだけ言って,その責任をとらない.エルサレム賞のスピーチは,あのとき僕にできる最大の事でした.あれ以上の事は言えないし,あれ以下では意味がない.ぎりぎりのところで最善のことをやったつもりです.もっとはっきりイスラエルを批判すべきだったという声もあったけど,実際にあの場所でそんなことできるわけがないんです.現地に行けば,そんな空気じゃないんだもの.
考える人に掲載されている村上春樹ロングインタビューからの引用です.画一的な大量の情報がしばしば流される日本のメディアを自身のエルサレム賞授賞式に行くと報道されてから後の体験を等して批判している.確かに日本のメディアはおかしい.新聞もテレビも.ただ中にいる人はそうは思っていない.と思う.そこが問題.立ち止まって考えよう.
日本高脂血症の人の方が死なないということですね.血液中にコレステロールがある程度ないといけない.コレステロールが血管を詰まらせるということはないようです.
いままで,コレステロールが悪者ですよと言い続けた方は,同じだけの時間と労力とお金を使ってこの事実をアナウンスする義務があると思う.特に製薬会社.
そのような責任の取り方が必要とされる社会であれば,不確実な治療や眉唾の治療のアナウンスも少しは減ると思うがいかがであろうか.ちなみに,LDLコレステロールとは悪玉コレステロールと言われ減らさないといかんと言われているもの.
高脂血症の人、脳卒中で死亡率半分 東海大、4万8000人分析
2010年6月29日 提供:毎日新聞社
脳卒中:高脂血症の人、死亡率半分 東海大、4万8000人分析
コレステロール値が高く「高脂血症」と診断された人は、高脂血症ではない人に比べ、脳卒中で入院した際の死亡率が約半分と低かったとの分析結果を大櫛陽一・東海大医学部教授(医療統計学)らがまとめ、28日発表した。日本脳卒中学会の機関誌に論文が掲載された。
社団法人「日本脳卒中協会」のデータを利用。98年から07年までに脳卒中で入院した患者約4万8000人について、高脂血症の有無と入院中の死亡率を分析した。
脳卒中の一種の脳梗塞(こうそく)では、高脂血症のない約9900人の約5・5%が死亡した一方、入院時に高脂血症と診断されていた約2300人の死亡率は約2・4%だった。
脳内出血では高脂血症のない約2800人の死亡率13・4%に対し、高脂血症の約440人は6・3%。クモ膜下出血では高脂血症のない約1300人の死亡率は約17・3%で、高脂血症の約110人は6・3%と約3分の1だった。
日本動脈硬化学会の高脂血症の診断基準は「LDLコレステロールが血液1デシリットル中140ミリグラム以上」など。大櫛教授は「コレステロールは血管の材料になるので、高い方が血管の状態がよかったのだろう」と話している。【高木昭午】